金毘羅大権現

金毘羅大権現 一社 梁一間 桁一間 瓦葺 村方抱

古城(琴平山城ともいう)の「一の丸」に鎮座されているのが、金毘羅大権現です。

このお社は江戸時代中期、新屋万右衛門等、当時舟株主の旦那方拾余人が願主となって讃岐金刀比羅宮から勧請したと伝えられています。その頃狩留家には船株が14艘(船は28艘)あり、おおむね秋の彼岸から堰止め(田んぼに水を引く頃)までの約半年間、賀茂郡・世羅郡・御調郡など21カ村から集められた年貢米や狩留家村で生産していた燈油・薪等を城下まで運んでいました。

その為舟の航行安全を祈願するため航海の神様である金刀比羅神を古城の頂上に勧進したものです。

お社の大きさは一間四方の藁葺きであったといわれ、現在の社殿は大正6年(1917)4月の建立であり、文政年間の社殿と全く同じ大きさのものであります。このとき瓦葺にした模様です。施主の個人名は不明、ご神体は縦16糎、横7糎の板です。

このお宮が他の神社と変わっているのは「村方抱」ということです。神事は中深川村神主久都内氏が営むのですが、管理運営は狩留家村が行うお宮であり、維持管理費等は全て村費で賄われてきました。ところが村が廃止されてからは責任ある管理体制も無くなり、平成9年(1997)財団法人狩留家愛林会へ委譲されました。

近郷近在での金毘羅宮は珍しく、貴重な存在であります。平成15年(2003)11月屋根の修復を行い、同年12月6日ご祭神「大物主神(おおものぬしのみこと)」を四国金刀比羅宮から再勧請しました。