薬師堂

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本尊は薬師如来、行基作と伝えられ、高さ三尺五寸(約107cm)です。平安末期狩留家は安芸の国安北郡田門庄(たどのしょう)とよばれ、領主は第74代鳥羽天皇と皇后美福門院得子との間に誕生された皇女八条院で、1136年頃と思われる。弟の近衛天皇と父鳥羽法皇が安楽寿院に葬られていること、母が美福門院であることなどから、命名されたらしい、福寿院寿福寺という寺院があったようです。その後享徳二年(1453)に深川の城主牛尾範光が薬師堂を建立しました。

「その昔、百姓左衛門と申す者の家に、禅僧が薦包の箱を持参して一夜の宿を請うた。翌朝その箱を預けて旅立ったが、その箱から光が出ているので開けたところ、薬師如来の尊像が出てきた。左衛門さんがその像を安置し拝んでいたのを伝え聞いた牛尾範光が享徳二年(1453」に薬師堂を建立したという」

境内にはんの木があったが、それより内に馬を乗り入れると必ず落馬したと伝えられています。

お堂正面左側の手水鉢(幅90cm高さ40㎝それに幅72cm高さ15cmの台座)の縁に大小様々な穴が穿かれています。これは盃状穴といわれ、人々が薬師さんにお百度参りをし、その都度、鑿か小石などで一心不乱に穿ったものです。

そしてこの穴にたまった雨水は病によく効く薬と信じ、飲んだり身体に塗布していたといわれます。それほど霊験あらたかで深く信仰されてきたお薬師さんなのです。